心の伸びしろ [ 石井琢朗 ]
心の伸びしろ [ 石井琢朗 ]

きょうは、上位戦線にかろうじて踏みとどまっているカープを支えるコーチ、石井啄朗氏のこの本を。

以前、「過去にあらがう」の共著者として登場しているので、フルイニングはさておき、連続試合出場といった感じになってしまったが、こちらにも事情と都合があるのでおゆるし願いたい。

この本は著者がカープで晩年の4年間を送った後に現役引退し、守備走塁コーチとなった2013年に刊行された。

20年間在籍した横浜ベイスターズを追われるように退団し、2000本安打を達成した自由契約選手としてカープに移籍してきた著者の“外様のまなざし”が、カープというチームの魅力を客観的に伝える。

「チームは家族的で、フロントは筋を通すし選手を大事にする。カープに来て本当によかった」と、著者は心底から述懐している。

少し著者の抱くチーム像が美化され過ぎではないかとおもう節もあるが(とくに球団トップに関する評と、選手の扱いについては賛否両論あるだろう)、カープというチームでの経験が著者を変え、成長させたことは疑いがない。

横浜から広島への移籍。そして選手から指導者に—。
その過程で学んだ「心の伸びしろ」という視点。
また「得る」ことから「与える」ことへ心境の変化。
そこへと至る「心の旅路」は、じわじわと感動的だ。

「スキルアップには限界があるが、心の伸びしろは無限だ」
そのことに気づいてほしいと願う著者のおもいは、薄日からのぞいた太陽のように温かい。
指導者として得がたい資質を著者が持っていることは、おのずとにじみ出て来る。

カープの4番はエルからロサリオに変わったが、この本であなたの人生の指針も「得る」から「与える」に変わるかもしれない。

ファンサービスとはなにか? 
魅せる野球とはなにか? 

「与える」という境地に至った著者は、自己にとどまらず、そのおもいはチームへ、そして球界全体へと広がっている。

この著者の意識、その存在が、カープがまがりなりにも上位で戦えるチームになったことに、大きく寄与していることを疑うファンはいないはずだ。

しかし、これだけしっかりとした自分を持ち、意見があれば誰にでもいうという著者がカープにいるという不思議。
そんなことにおもいをはせながら読んでみると、また味わいはひとしおかもしれない。

 

プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! [ 長谷川晶一 ]
プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! [ 長谷川晶一 ]

今回は大ヒット中の「プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!」の著者、長谷川晶一氏のトークの後半です。

 キャスト 司会/渡部裕之氏     
      著者/長谷川晶一氏 「プロ野球12球団〜」の著者    
      菊地/菊地選手(菊地高弘氏)同著編集担当「野球部あるある」著者


トークのふたり
写真左/著者 右/菊地選手

<つづき>

司会 でも、10年間つづけてみた、入会してみたっていうタイトルもまた素敵だ
   なとおもいますし、入会しつづけてみて、ふりかえって見て感じたことと
   いうか、気持ちの変化みたいなものは、長谷川さん自身どんなふうに感じ
   られましたか?


著者 2004年というのは球界再編騒動があって、(これをはじめた)200
   5年というのはファンサービス元年といわれていた年なんですね。

   で、その年からはじめていますので、この10年間というのはファンサー
   ビスが各球団、どんどん改善、改革していく10年でもあったわけですよ。


司会 それは感じられました?


著者 それはものすごく感じました。

   あのー、たとえば2005年だと、広島と中日は、当時のぼく、35才の一
   般男性が入れるカテゴリーがなかったんですね。


司会 どういっカテゴリーだったんですか?
 

著者 中日でいうと、キッズとかシニアとか、シニアっていっても高校生なんで
   すね。


司会 シニアといいながら?


著者 だから18才までしか入れるカテゴリーがなかったの、中日は。


司会 はぁー、そうだったんですか。


著者 で、広島は…


菊地 (横から口を出して)ジュニアとレディースと、あとシニア。


著者 で、こっちのシニアっていうのはご老人ですね。


司会 こっちのシニアはご老人なんですね。


著者 そうすると、中日も広島も35才のぼくは入れないわけですよ。


司会 ああ、そっか。


著者 それが1年目、2005年の最初の壁でしたね。


司会 じゃ最初は、「入れなかった」からスタートしたわけですか?


著者 中日に関しては、甥っ子の名義で(ジュニアに)入りました。

   カープに関しては、母親の名義でシニア入りました。


菊地 裏技を駆使して、身内を使うという。(笑


著者 2005、6年までは広島がそうだったんですが、2007にカープファ
   ンクラブというのが、倶楽部と漢字で書くんですけど、それが発足したの
   が2007年でしたね。


菊地 たぶん「野球太郎」、当時は「野球小僧」でしたね、長谷川さんが毎年、
   連載というか1年に1回書いていて、毎年一般コース作れ、一般コース作
   れって書いていたんですね。そしたらできた。(笑


司会 実りましたねぇ、地道な活動が。(笑

   それをまた、野球太郎の編集者でいらっしゃいます、野球部あるあるの著
   者でもあるわけですけども、菊地選手はその活動を見守られてきて、おや   長谷川さん、どんどん変わってきているなぁとか、ああこういう見方をし
   ているんだなぁとか、変化というのを見てきたわけでしょ。


菊地 そうですね。年々ファンサービスがよくなってきているという変化はすご
   く感じたんですけども、ある意味変化を感じない部分もあって、それは長
   谷川さんの原稿のノリというか、テンションというのが10年間まったく
   変わんなかったんですね。


司会 すごいですね、そのスタンスというのが。ブレないというのが。


菊地 毎年新鮮に、楽しくてしょうがないと。


著者 ほんと、楽しくてしょうがない。


菊地 で、悪いクスリでもやってんじゃないかというくらいの、チャ◯&飛◯も
   びっくりのテンションの高さで(場内/黒い笑い)毎年原稿があがってく
   るんで、これ1冊になっても売れるんじゃないの、っていう希望というか   予感みたいなものはありましたけど。


司会 1冊の本にしたら、って何年目くらいのときにそう思ったんですか?


菊地 たぶん8年目くらいから。なんとなく10年いったら本にしたいですね、み
   たい話はしてたんですよね。


司会 8年目くらいのときに、なんとなく。わかりますよね、おたがいに、この
   空気わかってくださいよ、みたいなね感じはあった。


著者 ぼくはね、3年目くらいからあったんですよ。


司会 早いなぁ、まただいぶ。(笑


著者 で、5年目で本にしようとおもったんですよね。


司会 かなり短期決戦型ですね。


著者 やっぱりフリーランスなんで、目先のお金に目がくらむというか。


司会 そのマスク姿でしゃべられると、またなんとも…。(苦笑


著者 2010年に本にしようとおもったんですが、実際にありものの原稿とか
   書き下ろしを考えてみても、ちょっと薄いなぁという感じが正直あったん
   ですね。

   で、結局そこでは実現せず、とりあえず10年を目標にすると。原稿なん
   かでも10年たったらなんとかカタチにしようと、ちらちら伝えてました
   ね。


司会 構想10年、取材10年。執筆10日!

   このキャッチフレーズが、もうなんかすごい心を奪われたんですけど。


著者 これ嘘じゃないんですよ。


司会 えっ、えー!


著者 ほんと10日なんてすよ。締め切りが…。


菊地 (横からまた口を出す)ひょっとしたら7日くらいかもしれないですね。


司会 えっ、っっー! それまでにまとめていたからということなんですか?


菊地 いえいえ(と、なぜか特異気に)、ほとんど書き下ろしに近いですよ、も
   う、ええ。

   もちろん当時の取材なんかに基づいてはいるんですけども、編集のなか
   でも話をして、ゼロから書こうということで。


司会 7日でこの作品を書きあげたわけですねー。(と、ひとしきり感心する)


菊地 まあこれ単純に、集英社の企画が通るのが遅かったっていうだけの話なん
   ですけど。(愉快そうに笑う


司会 いいですねー、編集の裏ネタをここで暴露されましたけれども…


著者 遅かったのに、早く出せって。(と、自嘲


会場 あっはっはっ。(と爆笑


司会 なんか「出版社あるある」、みたいになってきましたけども。

   でも、ふりかえってみると、長谷川さん自身は楽しかったんじゃないです
   か、書き上げていくなかでも。


著者 楽しかったですね。ただやっぱり、だれに命令されたわけでもないじゃな
   いですか。自分の意思ではじめたので、やめるのも自分で決めなければな
   らないんだろうな、ということを途中で気づいたんですよ。


司会 アーティストが、いつマイクを置くかみたいな。(笑


著者 いや、ほんとそうですよ。

   だって、ひとに辞めろっていわれたって、辞めさせる権限ないじゃないで
   すか。だって全部自費でやってますから。


司会 えっ、えー。これ全部自費なんですか?

   取材協力費とかいうのは編集部からは出てないんですか。


菊地 ええー、ゼロです。(と、なぜかうれしそう)


司会 うえっ。総額いくら?


著者 60万!


菊地 これね、単純な入会金、会費だけでいうと60万円くらいですかね。

   ただそれ以外にも手数料とか、発送料だとか、もっといえば球場に行く
   お金もあるし…


著者 それ入れたら、もっとだね。


菊地 球場で飲むビールのね、散財とか…。(笑


著者 だけどそのお陰で、ぼく札幌から、もちろん広島もそうですけど、博多ま
   で、(観戦に)全部行けましたもん。
毎年ちゃんと行ってますから。


司会 そうか、チケットが付いてくるから、そのチケットをちゃんと使おうとお
   もったら、各球場巡るんだ。


著者 行きます、行きます。


司会 そのお金も実費で、だれにやめろといわれることもなく…。


著者 そうすると、辞めるのは自分なわけですよね。

   いつどのタイミングで辞めようか、っていうのを今、見失ってますね。 


菊地 うっ、ふっふっ(と、またうれしそうに)


司会 いま10年間入会してみたわけなんですけど、これまだ継続中?


著者 今年で10年目なんで。


菊地 でも、ほんとに孤独な10年間だったとおもうんですけど。(笑


著者 だれも賛同してくれませんけど。


菊地 でもねぇ、驚くことに、長谷川さんの後に同じことするひとが、すくなく
   てもあと3人いるんですよ。


司会 それは多いのか少ないのか、よくわからない、うーん!(笑


菊地 まあ、ひとりはデザイナー。で、ひとりは居酒屋の店長。もうひとりは
   北海道のひと、ですよね?(と、著者に同意を求める)


著者 4人です。北海道がふたりいるんですよ。


司会 同士がふえましたね。(笑


菊地 あのアストロ球団(超人が集まるチームの活劇野球マンガのことか?)的
   にどんどんふやしてですね…。

   最終的にみんな死んでるかもしれませんけど。(笑

   で、その中のひとりのデザイナーは、この本をデザインしてるんですよ。


司会 あっ、この表紙を?


菊地 いえ、本文の方。鈴木さんていうんですけど、そのひとも12球団のファ
   ンクラブに入っている。


司会 それは長谷川さんの行動に感化されて?


菊地 そうです。3年目ですかね、かれは。


司会 長谷川さん、影響力あるじゃないですか。(含み笑い


著者 このブックフェア、東京でやってますよね。

   去年の東京ブックフェアで、そのとき出した新刊を販売してたんですが、
   そのとき本を買っていただいた方がぼくのところに近づいてきて、実はぼ
   くもファンクラブに全部入っているんです、って。

   そこではじめて会ったんですね。

   で、話を聞いたら彼はデザイナーだっていうんで、今回この本を出すこと
   が決まったんで、ならば彼にデザインをしてもらおうと。


司会 10年目の先輩から、3年目の後輩に。


著者 そうそう、まさにそう。上から目線で、お前ちょっとやれ、って。(笑


司会 ぜったいに、いえそうにない。

   そのマスクを付けていたとしても、ぜったいにいえそうにない。(笑


著者 ぼくはマスクマンですから、いえますよ。


司会 どうでしょう、マスク越しの、そのメッシュの目が泳いでるんですが。


著者 見えますか?バレてないとおもってたんですけど。

   まあそれはそれとして、彼にやってもらうことになって…


司会 つながってくもんですねぇ。


著者 で本を出したら、北海道の方から「実は私も入ってます」ということで。


司会 やっぱ、いるんだ。


著者 それは札幌の方で、「もうひとり、実は私の友人で函館にもいます」と連
   絡がきたんで、着々と広がってきてるなぁとおもったら、2、3日前にそ
   の札幌の方からご連絡をいただきまして、この本を函館の友人に薦めよう
   とおもって何年かぶりに電話してみたら、亡くなってたと…


司会 え、えーっ。


著者 ちょっと悲しい話になっちゃった。


司会 いやいや、こういうところで虫のしらせじゃないですけれども…


菊地 アストロ球団の球一が死んでたんですよ。


司会 な、なんで必死にこじつけようとするんですか。会場の何人がはたして
   わかるだろうって話ですよ。


菊地 アストロ球団、大好きなんで。(ポリポリ


司会 でも、そんな不思議な縁というか、つながりを確認する機会にもなった。


著者 そうですね。


司会 ところで、この本を手に取って、どういうところを、笑ってもらいたい
   とか、感じ入ってもらいたいとか、書かれた立場としては…?


著者 どうですかね…。

   ぼくこれまで10何冊か本出してるんですが、この本に関しては本当に趣
   味で書いたもんですから、何か伝えたいことがあるとか、メッセージがあ
   るわけでもないし、世の中を変えようともおもってないんですが…。
   どう読んでもらったらいいんですかね?(と菊地選手にふる)


菊地 この本は1冊の中に、いろんなサイドストーリーが流れているんですよ。

   わかりやすくいうと、この会場のなかにはたぶん巨人ファンはいないとお
   もいますけど(場内笑い、長谷川さんもアンチ巨人なわけですよ。

   そのアンチ巨人が巨人のファンクラブに入ると。その時点で葛藤が生まれ
   ているわけですね。


司会 なるほど。


菊地 で、その葛藤が10年間でどう変わっていったか、というのはひとつの読
   みどころだとおもいますね。


著者 そこはね、あますところなく書いたつもりなんです。

   もともと各球団の各年度の特徴を見せていくというのがひとつのコンセプ
   トではあったんですが、ひとりの当時35才のおっさんが、巨人があんま
   り好きでなかったおっさんが、巨人のファンクラブに入るとき、ものすご
   い抵抗感があったわけですね。


司会 うんうん、うん。


著者 ほんとに、これ以上おれのお金をあの球団に渡していいのか、みたいなこ
   とがあったわけですよ。

   だってこれを払うことによって、ペタジーニとかラミレスとか、獲られる
   かもしれないわけでしょ。(場内爆笑

司会 わかる、わかる。 


著者 そういう思いがある中で入ったんですが、途中でちょっとね、心境の変化
   が生まれてくるんですよ。


菊地 決定的な事件があるんですよ。それはね、ぜひ読んでいただきたい。


司会 それは買って、読んで、知っていただきたいと。


菊地 左手のブースで売っておりますので、ぜひ。
   このマスク姿でおりますので。もちろんサインもしますので


司会 サイン、すごい!


著者 ぼくのサインが価値があるとは、ぜんぜん思わないけど、いくらでもしま
   すよ。


菊地 どんどんヤフオクに出していただいて。(笑


著者 どんどん値崩れしますよ。(苦笑


司会 あらためて、どんなことが書いてあるかというと、2005年から201
   4年までの年度別の総括。そして「ファンクラブ各通信簿」…。

   これはどんな評価になっているかは書き方だと思うんですよ、ほんとに。

   さきほどから菊地選手が評価されている長谷川さんの文章力っていうとこ
   ろだとおもいますし、ファンクラブ事件簿、これが先ほどの出来事なのか
   もしれませんが…。
 

   あと「ファンクラブ・オブ・ザ・イヤー」。
   これちょっと、広島はどこに入るんだろうなとおもったりしますが。

   さらに「グッズ・オブ・イヤー」もあります。

   そして「ファンクラブあるある」。
   これはファンクラブに入っているひとじゃないと共感できないということ
   もあったりするんでしょうし、いろいろと読みどころもあるわけでござい
   ますので、ぜひ。
   今年の5月に発売になったばかりということで、読んでいただきたいです
   ね。


著者 (殊勝に)はい。


司会 さて、これを今年の5月に刊行されました。
   おふたり、それぞれなんですけれど、まず菊地選手、選手件編集者という
   ところで「野球部あるある」も書いてらっしゃいますし、野球部研究家で
   もいらっしゃいますが、これからご自身の夢、目標というのは?


菊地 そうですね、やっぱりまずこの本をですね、もっともっと多くのひとに読
   んでいただいて、ゆくゆくは映像化をですね…。


(会場から、「をっ、ほっほっほっ」の笑い)


菊地 いわゆるドラマ化…、「弱くても勝てます」的な、まあ視聴率はあんまり
   よくないかもしんないですけど、一発当てたいなぁと。


司会 いいですね。いま大いなる野望を堂々と語っていただきましたけど。(笑


菊地 はーい。


司会 そして執筆されました、長谷川さん。
   ファンクラブ会員をこれからどうしていくかもふくめて、今後の野望など
   がございましたら、ぜひ最後に。


著者 ぼくはささやかな希望んですが、10年後にパート2を出したいな、って
   おもってますね。


司会 みなさん、20年構想になっておりますよ。(笑


著者 20年入会してみたっていうかたちで、10年後にまたみなさんとお会い
   したいなとおもいます、このマスクで。


司会 そのマスクがどうなっているか、ですね。


著者 そのときには54才になってますんで、すこしは分別のある話もできるか
   と思いますので。そのときをお楽しみにしていただきたいなと。


司会 そのときは、このタオルポンチョもぼろぼろになってるかもしれません
   ね。(笑

                        - 完 - 


プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 涙と笑いの球界興亡クロニクル / 長谷川晶一 【単行本】
プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた! 涙と笑いの球界興亡クロニクル / 長谷川晶一 【単行本】

先日、広島市民球場跡地で開催された「広島野球ブックフェア」。野球を語ろう、というテーマで、いま話題の野球本の著者が何人も参加してくれました。
その時のトークを、随時ここに再現いたします。

今回は大ヒット中の「プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!」の著者、長谷川晶一氏のトークの前半をご紹介します。

キャスト 司会/渡部裕之氏
     著者/長谷川晶一氏 「プロ野球12球団〜」の著者
     菊地/菊地選手(菊地高弘氏)同著編集担当「野球部あるある」著者

長谷川トーク
<第1回>

司会 10年間12球団のファンクラブに入ってみた、という壮挙が本になりま
   した。

   これを手に取ったときは感動したんじゃないですか。 


著者 あのーですね、さっきいったようにおもいつきだったんで、まさか企画に
   なるとはおもわなかったですね。  
   それが企画になったというのはうれしいっちゃうれしいんですけど、1年
   目でたぶん12球団分の会費で5万円くらいだったかな、払ったんで…


司会 12球団、5万円!


著者 たしかそれくらいでした。


司会 ちなみになんですけど、一番安い年会費ってどこのチームなんですか?


著者 (毅然と)それはすごいアバウトすぎますね、質問が。


司会 と、といいますと?


著者 年度によってもちがいますし、球団によっていろんなカテゴリーがあるの
   で。


司会 こりゃまた勉強不足でもうしわけありません。


著者 単純にいうと、1000円からありますね。楽天のキッズクラブは100
   0円ですね。


司会 ほおー。


著者 一番高いのも楽天で、10万500円というのもありますね。


司会 うをははは、10万と1000円!

   えらい差ですねー。


著者 もちろん特典がぜんぜんちがいますけどね。


菊地 (横から口をはさんで)長谷川さんは年度によって、ぜんぜん入るクラブ
   がちがったりするんですよ。


司会 同じチームのなかでも…?


菊地 たとえば2005年は、総額が12球団で4万1千600円なんですね。


著者 これが最初の年ですね。


菊地 それが2014年、10年目ですね、この総額が17万7千900円なん
   です。


著者 これが今年ですね。


司会 いやー、かけましたなぁ、これはまた。


著者 いまいった楽天の10万円のに入ったから。


菊地 楽天ファンでもないのに。(場内爆笑


司会 それはどうなんですかね、それもあわせて聞いてみたかったんですけど、
   12球団入るじゃないですか、それぞれ特典とかもちがったりする。
   同じチームのなかでも金額設定がちがったりもするれけど、全球団入って
   みて、今年はグッズこれよかったし、このチームがんばれみたいに、好
   きな球団がちょっと変わったりって10年間であったりしたんですか?


著者 ありますね。

   こどものころからずっとヤクルトファンではあったんですが、まず最初に
   すごいなとおもったのが、ロッテですね。


司会 千葉ロッテ?


著者 これが…、グッズがまずいいし、ファンクラブの4つの特典、グッズが
   あって、チケットがあってという、それが全部そろっていたのが、まず
   ロッテでしたね。

   そのグッズ自体も、個人的な趣味かもしれないけれど、センスがいいと
   おもったし、バッグだったりユニフォームだったりするんですが、いず
   れにしてもクオリティの高いものでしたね。


司会 それを価格帯とかコースではないんでしょうけど、同じチームのなかでも
   いろいろあるのを、毎年選びながら選びながらというのをしながら、総じ
   てこのチームのモノがいいな、というのはやっぱり千葉ロッテ?


著者 あと、西武ですね。


司会 ほおー、こちらもパ・リーグですね。


著者 はい。


司会 なんかぼくは、お金にもゆとりがあるであろう巨人とかが、やっぱりグッ
   ズもいいんじゃないかって勝手におもってたんですけど…


著者 いやー、おっしゃるように巨人てすごくいいんですよ。


司会 いいんですか、やっぱり。


著者 巨人は巨人ですごすぎるんで。

   その話をすると他球団が霞んでしまうっていうのがあるんですね。

   むしろぼくは、せっかくここ(旧広島市民球場跡地)にいるんで、広島の
   ファンクラブのすばらしさをお話したいと、きょうカープグッズ全部持っ
   てきたんですが…


菊地 (横で苦笑)


司会 これ、ちょっと気になったんですけど、無造作といえばあまりにも無造作
   に持って来た感じですよね。


著者 (やや憮然として)ちゃんと洗濯済みです。


司会 これって、ちょっと広げていったりしてもいいですか?


著者 あのー、10年間、12球団に入っているってことは、単純に述べ120
   球団、120年入っているってことで…


司会 120のパターンがあるってことですよね。


著者 ぼくの計算では10かける12は120なんで。で、その120のなかで
   1番好きなグッズがこれです。(と、ユニフォームを広げる)


司会 2009年のレプリカユニフォーム!


著者 みなさん胸のロゴをぜひ読んでいただきたいんですが…


司会 皆さんから見ると左手がカープの「CA」で、右側が「OSHIMA」。


著者 これまあ、ふつうに読めば「かおしま」ですよね。


司会 たしかに「かおしま」ですよね。(笑


著者 「かおしま」っていうチームは、この日本にありますでしょうか?


司会 質問を投げかけられてしまいましたけど。


著者 しかもこれはオフィシャルのファンクラブですから。
   オフィシャルのファンクラブが、あらたに「かおしま」というネーミング
   をドンッと打ち出す、ファンに向けて。これは感動しましたね。


司会 どうでしょうか、会場でズムスタに観にいかれた方、たくさんいらっしゃ
   るとおもいますが、このユニフォームを着たお客さんに出会ったことある
   ひとっていますか?


(間合い)


司会 いらっしゃらない。

   これみんな大事に持っているのかなぁ。


(会場からユニフォームの説明をする声)


司会 これホームとビジターがセットになってるんですね。ハイブリットになっ
   ているんですね、なるほど。

   こういう貴重なユニフォームもあれば…


著者 (他のものを見せて)これがもうカープの特徴ですね、ユニフォームをど
   んどん変えていくという。


司会 これもまたハイブリットデザインになってますね、長谷川さん。


著者 これ、なんて描いてありますか?


司会 ふっふっふっ、もしかして、「かおしま」?


著者 あまりにも気に入りすぎて、ふたつ入ってしまったという。(場内爆笑

   ひとつは着用で、ひとつは保存用なんですが、きょうは特別ふたつ持って
   きました。


司会 ぼくはよくイベントでMCするとき、アーティストなんかのときはCDを
   観賞用、保存用、配布用と3枚買ってくださいといっているんですけど、
   ここに(お手本が)いました。(笑


著者 ヤクルトファンですが、(カープのを)ふたつ持っていると。


司会 それがすごいっすよね。(といいながら、ほかのに目をとめて)

   またこれはちょっと、袖の色がまたちがったりしていますが…


著者 これはですね、色もデザインもそうなんですが、左の肩口と背中に注目し
   てほしいんですけど…


司会 東京、って描いてありますね。


著者 そして背中にも…


司会 カープファンクラブ東京、と…

   ああこれは東京のファンクラブ用のデザイン?


著者 これはその会員の住んでいる場所によって変えてくれるという。


司会 えっえー。


著者 ものすごい歩留まりが悪いから、あまったら…。

   これ受註生産ではないわけですよ。だからぜったい余ったり足りなかった
   りするとおもうわけですが…


著者 ぼくは東京だから、東京を指定してもらったんですが…


司会 またつづいてこれは、迷彩?


著者 これはですね、1万5千通りあるユニフォームというふれこみでですね…


司会 1万5千通りあるユニフォームの一着?


著者 はい。会員になったひとそれぞれ模様がちがう、と。

   これ単純に「H」っていうマークをランダムに印刷した布を断裁してやれ
   ば、当然柄は変わりますよね、位置が変わるだけですけど。


司会 ふっふっふ。
 

著者 でもぼくは、それがカープならありだとおもう。


司会 カープなら、あり?


著者 ほかの球団、たとえばそれが巨人がこれやったら、ちゃんと1万5000
   通りの布を作れ、っておもうわけですが、


司会 広島だったらゆるせる?


著者 広島はずっとこれを貫きとおしているんで。


司会 貫きとおしているかは疑問なところがありますけれども…、
   こちらはまた…、白いユニフォームがだんだん朱に染まっていくってい
   う感じですね。


著者 これはグラデーションのユニフォームですね。


司会 はいはい、はいはい。


著者 ただ最初の「CAOSHIMA」だとか、さっきの「TOKYO」だとか見たあと
   だと、ぼくにとってはちょっと物足りなかったんですよね。インパクトが
   ないなぁ、とおもって。


司会 これは何年のものですか?


著者 2009年? いやもっと後かな。


司会 たぶん、いわゆるファッションのなかで、グラデーションアイテムという
   のがブームになっていたときだとするならば、そういうところにアンテナ
   を張ってるってことですよね、2012年とか3年ということは。

   去年とか、ほんとうにグラデーションファッションとか、メンズ系とかア
   イテム、流行りましたからね。


著者 (さっさとつぎのものを広げて)で、これですね、2008年ですね。


司会 こ、これはまた…


著者 もはやユニフォームではないですよね。(場内爆笑)


司会 タンクトップ?


著者 タンクトップなんですよ。ノースリーブジャージっていう名称でしたけ
   ど。


司会 なるほど。


著者 これも着てるひと、見たことないですね。


司会 そっと袖を通しましたね。違和感ないのはなぜなんでしょうね。


(場内爆笑)


著者 それは下を着てるからでしょ。

   ぼく、一度風呂上がりに素肌で着たことがあるんですが…


司会 いかがでしたか、着心地は?


著者 気持ち悪かったですね。見た目気持ち悪かったです。ソフトゲイみたい
   で。


菊地 (横で大笑い)


司会 さて、そしてもって来ていただいた3つ目。


著者 これもインパクト薄くないですか?


司会 これはなんか、ボーリングのシャツのようなデザインにも見え…


著者 この前、後づけで気づいたんですけど、基本的にホームチームのユニフォ
   ームっていうのは白じゃないですか。

   で、ビジターのときは赤ですよね。

   でもこれは赤い部分にカープって描いてあるのが実はレアなんじゃないか
   というふうに、あとで気づいたんですね。


司会 後っていうのは?


著者 そのときは物足りなくて嫌だったんですけど、いろいろ考えてみたら、こ
   れはそうなのかなって。

   そこに価値を見いだす努力をしました。(笑


司会 これどういう価値があるんだろう、と自問自答するわけですね。(笑


著者 カープならもっとちゃんとやってくれるだろう、と思っているので、ぼく
   の理解力が不足しているだけなんだなとおもって、考えてみたんですね。


司会 それはまたすごい謙遜の仕方ですね。(笑

   (といいつつ、つぎに目移りして)これはまたインパクトすごいですね。


著者 これは今年の特典なんで、いまズムスタでもこれを着ているひとってのが
   よくいる。
   神宮でもドームでもこれ着てるひと何人もみましたけど、CARPっていう
   ロゴをものすごく大きくして、それに去年の選手の名シーンをコラージュ
   して作成している。


司会 なるほど。常に選手と共にある、みたいなね、発想なんですね。

   ひとつのカープの10年間の歴史、グッズの歴史、とくにユニフォームにス
   ポットを当てただけでも、これだけの種類があると。


著者 そうですね。

   このユニフォームは毎年かならずワンアイテムあって、そこにこういうポ
   ンチョが付いたり、あとこういう…


司会 それ、なんです?


著者 お財布です。
   カープのユニフォームの端切れを使って、それをアレンジして。


司会 ほんとだ、なかにお金なんかが入れられるようになってる。


著者 そうそう、広島の方にうかがいたかったの。この「ぶち赤」の「ぶち」っ
   ていうのは広島弁なんですか?


司会 そうですよ。ぶちっていうのは、ものすごいという。
   ぶち、ばり、とかもいいますけど。


著者 ものすごい赤っていうことね。ありがとうございます。


司会 いまこの場で知った、あらたな真実でありますけども。


著者 ありがとうございました。ちょっと不明だったので…
   そのあたりは原稿に書かなかったんですけど。


菊地 (横で洪笑)


司会 ファンクラブは10年間突き詰めるのにもかかわらず?

   そこは広島に身近なひとはいなかったんですか?


著者 いたけど聞くまでもないとおもって、聞かなかったんですよ。
   すみません。
 

エースの覚悟 [ 前田健太 ]
エースの覚悟 [ 前田健太 ]

それにしても勝てません。

カープの前田健太投手が、きのうはジャイアンツ相手に3回6失点で負け投手に。
これで「勝負の夏」に4試合つづけて勝ちに見離されちまったとか。

激しく降り続ける雨に集中力を欠いてしまった。
それでいらん四球を出し、連打を浴びての大乱調。
とうとう防御率1位の座からも陥落です。

でも指揮官が いみじくもコメントしていたように、「相手も同じ条件だから」文句はいえません。
ただ、そういうベンチのケアが同じ条件だったかは疑問ですが。(笑

それにしてもマエケン、雨には祟られます。

思い出すのは2012年のあの出来事です。
4月30日にズムスタで行われた対ヤクルトスワローズ戦。 

降雨のために開始が33分遅れたのが先発のマエケンに伝わっておらず、「いきなり試合がはじまった感じ」で、あたふたとゲームに入った彼はペースをつかめないまま、ずるずると失点して6回を7被安打4失点で敗戦投手になるという、おそまつな事件がありました。

そんなベンチですから、いえた義理じゃありません。

きのうもそうですが、ズムスタはなかなか雨天中止にしませんね。
グラウンドの水はけはいい方なんでしょうが、それにしても強行します。

雨が降っている日のスタンドは、ビニールポンチョっていうんですか、申し合わせたように赤いカッパを被ったファンがゾロゾロとやってきます。
ほんと判で押したように、みなさん赤いカッパ姿なんですね。

これが500円といいますから、もし1万人が買って入れば1日500万円。
ボロい商売です。

とかく興行の中身より商売を優先しているといわれて久しいマツダ商店。そんなことから雨天でも強行している、と勘ぐられても仕方がありません。

その日を楽しみにしているファンのため、ということもあるのかもしれませんが、足元がぬかるんでいる中でプレイするのは、選手にとって大変なリスクをともなうことはいうまでもありません。
すべって脚を痛めた選手は枚挙に暇がありませんし、きのうのマエケンのようなおっかなびっくりの投球は筋肉が変に緊張して故障の原因になりかねません。

カッパの販売も結構ですが、球団の財産である選手も大事にしてもらいたいものです。

参考文献「マツダ商店(広島東洋カープ)はなぜ赤字にならないのか?」






消えた春 [ 牛島秀彦 ]
消えた春 [ 牛島秀彦 ]

きょうは終戦記念日。
ということで、この本を。

終戦直前に特攻に散った名古屋軍のエース、石丸進一 を追ったノンフィクションです。

石丸進一をご存知ない方のために簡単におさらいをしておきしょう。

大正11(1922)年佐賀県生まれ。
佐賀商を卒業後に、名古屋軍(現中日ドラゴンズ)に入団。兄の籐吉も在籍していたため、わが国初の兄弟選手となる。

はじめ内野手として起用されたものの、2年目には投手となり下記の成績を残しています。

 昭和17年 17勝19敗 防御率1・71
 昭和18年 20勝12敗 防御率1・15

体格にはあまり恵まれていませんでしたが、持ち前の強靭な下半身から繰り出す速球はかなりの威力があったようです。
ちなみに2年目、というか最後のシーズンには大和戦でノーヒットノーランも記録しています。

プロで残した記録は野手時代をふくめてたった3年。翌年の春に石丸は学徒動員で応召されて海軍航空隊に配属されています。
それから昭和20年5月11に出撃して戦死するまでのほぼ1年あまりの石丸の訓練生活や特攻に対する心の葛藤が、戦時下の不条理な社会情勢や淡い恋心などを織り交ぜながら克明に語られています。

著者が石丸本人の従兄弟ということが、 この本に独特の色合いを持たせています。ぬくもりのある人間ドラマに仕上がっているというんでしょうか。
ノンフィクションのモデルが、冒頭でいきなり著者の家を訪ねてくるなんていう設定は普通ではまず考えられませんよね。

若くして戦没した従兄弟への鎮魂歌。
それが動機のひとつだったのでしょうが、著者には使命感のようなものがあったのはまちがいありません。
石丸進一の従兄弟に生まれた、わが身の運というんでしょうか。
「おいは、こいば書かんなら死んでも死にきれん」
そう著者はいっていたそうです。

「戦争の不条理」あるいは「反戦」。
それがこの作品に通底しているテーマです。

戦争の愚かさ。特攻を賛美することへの疑問…。
それらは告発といってもいいほどの色合いを帯びて本文に散見されます。
一部を紹介してみましょう。

以下

特攻のことは、あまりにも恰好いいウソが巷間多すぎて、(中略)出来るだけ触れないようにしていたという特攻の生き残りのS氏が重い口を開いていいます。

「(前略)夜は夜で、高級参謀どもは、街の海軍の専門高級料理店で、ドンチャン騒ぎ。朝は特攻隊員が出撃するというのに…。特攻宿舎に彼等参謀たちが来て、隊員たちと、人間として話し合った者が居るか。全くゼロですよ。私が許せんのは、戦後になって、慰霊祭なんぞにでかい顔してやって来ては、涙を流して見せ、特攻の散華ぶりをほめたたえる偽善そのものの姿です」

以上

ボールを懐に野球とともに玉砕するつもりだった石丸が、出撃する機上から「忠孝」と書いた鉢巻きとともにそれを投げ捨てて行った光景がせつない。






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