消えた春 [ 牛島秀彦 ]
消えた春 [ 牛島秀彦 ]

きょうは終戦記念日。
ということで、この本を。

終戦直前に特攻に散った名古屋軍のエース、石丸進一 を追ったノンフィクションです。

石丸進一をご存知ない方のために簡単におさらいをしておきしょう。

大正11(1922)年佐賀県生まれ。
佐賀商を卒業後に、名古屋軍(現中日ドラゴンズ)に入団。兄の籐吉も在籍していたため、わが国初の兄弟選手となる。

はじめ内野手として起用されたものの、2年目には投手となり下記の成績を残しています。

 昭和17年 17勝19敗 防御率1・71
 昭和18年 20勝12敗 防御率1・15

体格にはあまり恵まれていませんでしたが、持ち前の強靭な下半身から繰り出す速球はかなりの威力があったようです。
ちなみに2年目、というか最後のシーズンには大和戦でノーヒットノーランも記録しています。

プロで残した記録は野手時代をふくめてたった3年。翌年の春に石丸は学徒動員で応召されて海軍航空隊に配属されています。
それから昭和20年5月11に出撃して戦死するまでのほぼ1年あまりの石丸の訓練生活や特攻に対する心の葛藤が、戦時下の不条理な社会情勢や淡い恋心などを織り交ぜながら克明に語られています。

著者が石丸本人の従兄弟ということが、 この本に独特の色合いを持たせています。ぬくもりのある人間ドラマに仕上がっているというんでしょうか。
ノンフィクションのモデルが、冒頭でいきなり著者の家を訪ねてくるなんていう設定は普通ではまず考えられませんよね。

若くして戦没した従兄弟への鎮魂歌。
それが動機のひとつだったのでしょうが、著者には使命感のようなものがあったのはまちがいありません。
石丸進一の従兄弟に生まれた、わが身の運というんでしょうか。
「おいは、こいば書かんなら死んでも死にきれん」
そう著者はいっていたそうです。

「戦争の不条理」あるいは「反戦」。
それがこの作品に通底しているテーマです。

戦争の愚かさ。特攻を賛美することへの疑問…。
それらは告発といってもいいほどの色合いを帯びて本文に散見されます。
一部を紹介してみましょう。

以下

特攻のことは、あまりにも恰好いいウソが巷間多すぎて、(中略)出来るだけ触れないようにしていたという特攻の生き残りのS氏が重い口を開いていいます。

「(前略)夜は夜で、高級参謀どもは、街の海軍の専門高級料理店で、ドンチャン騒ぎ。朝は特攻隊員が出撃するというのに…。特攻宿舎に彼等参謀たちが来て、隊員たちと、人間として話し合った者が居るか。全くゼロですよ。私が許せんのは、戦後になって、慰霊祭なんぞにでかい顔してやって来ては、涙を流して見せ、特攻の散華ぶりをほめたたえる偽善そのものの姿です」

以上

ボールを懐に野球とともに玉砕するつもりだった石丸が、出撃する機上から「忠孝」と書いた鉢巻きとともにそれを投げ捨てて行った光景がせつない。