プロ野球に限らず、アマチュアでもチームの編成と用兵は実力主義が原則。
9つのポジションにはチームで一番ふさわしい選手が名を連ね、そのつぎに力があって調子のいい選手がベンチ入りします。
一軍にあがれない選手、スタメンに名を連ねられない選手は「なにかが足りない」ということ。
そこを補強し強化しなければゲームに出ることすらできません。
とはいっても、それはあくまでも原則。
そこは人間のすることですから、好き嫌いはどうしても介在してしまいます。
意識はしないようにと自制しても、監督にも好きなタイプ嫌いな選手がいて、それが選手起用に反映しないとはいいきれません。
それはいたしかたのないことですし、まあ許容範囲とあきらめるしかないでしょう。
チームの絶対的な4番打者やエースが監督の好き嫌いだけではずされたりはありません。
そこにはおのずと常識的なラインのようなものがあって、めちゃくちゃな用兵というものはまずありえません。
ところが監督の人事となると、そんな常識や合理的な選択理由はまったく存在しないかのごとく。まあ球団のやりたい放題です。
いったい何を根拠にこの人物が監督になるのか、どんな理由で登用されたのか、クビを傾げざるをえない人事が横行しています。
野球というスポーツ独特の流れを知らず、また機微にも戦術にもうとい監督がプレイから緊張感を奪い、ゲームを台無しにし、ひいてはプロ野球をつまらないものにしている現状を、ファンはいやというほど見せつけられてきました。
ただでさえメジャーに人材が流出してプロ野球が劣化している現在、せめて現場の指揮官のレベルをあげなければ日本のプロ野球の退行は歯止めがかからなくなることでしょう。
はたして彼らのほかに、人材はいないのか?
みまわしてみれば、やってほしいひと、やってしかるべき人材は掃いて捨てるほどいるでしょう。
かつてカープを初優勝に導き、日本一の栄冠を3度経験している名将古葉竹識氏は東京国際大学の監督として、70才を過ぎたいまもベンチに立ったまま指揮をとっているといいます。
それは試合中のミスやスキをひとつも見逃すまいという、カープ時代からの姿勢からのこと。
そして集中力を欠いてミスした選手、スキを見せた選手は、いまでも容赦なく叱っているといいます。
その姿勢はグラウンドで起こることはすべて自分が責任を持つ、という強烈なプロ意識の裏返しでもあります。
ひるがえって、プロ野球のグラウンド目を転じてみると‥
座り心地のいいベンチに漫然と座ってゲームを他人事のようにながめている監督。
敗戦の責任を10年一日のごとく選手に転嫁する監督。
そんな指揮官があのチーム、このチームにもいるしまつ。
「はたしてどういった力学で奴らのような人材が監督の座におさまっているのか、不思議でしょうがないぜ」
なじみの風呂屋のおやじさんも、そう歎いておられましたね。